次郎長生家の改修までの道


生家は1820年生まれの次郎長が生まれる前に建てられたのですが、正確な記録は残っていません。
1854年の安政の大地震の揺れと津波で建物の一部が破損し、修復したとの口承が伝わっています。
また、二階家はそれ以降建てられたといわれています。何度かの改修をへて、子孫の方々が住み続けていました。
1960年(昭和35年)には、道路拡幅のため2mほど曳家が行われ、1968年(昭和43年)ボヤ火災で二階の一部が焼けています。
それ以降、次郎長の生きていた時代のイメージ展示館として内装等を改装し、一般開放されてきました。
しかし、約200年近い歳月を経て、建物の傷みがひどくなり、早急な改修が必要となっていたのです。
そのなかで、「耐震住宅100%実行委員会」様が主催する「残したい建物コンテスト」に応募し、多くの市民の皆様の投票により、2014年(平成26年)1月に見事グランプリに輝きました。そして、改修費用の提供を受けることが決まったのです。

それ以降、設計、登録文化財申請などの準備を進め、全工事費用(展示等諸経費含む)の2/3は耐震住宅100%実行委員会様、1/3は市民の皆様の募金により、耐震補強、外壁補修、内装補修、瓦葺屋根改修等が行われ、2017年(平成29年)7月から、清水の貴重な歴史資産として生まれ変わりました。

ご協力頂きました皆様、本当にありがとうございました。清水のアイデンティティの1つである清水の次郎長を末永く語り継いでいきたいと思います。

戦前の次郎長生家

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昭和40年代〜平成28年

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平成29年 改修工事後

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改修前・後 平面図 1/100

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土壁等を剥がしました。

Took off the mud walls.

平屋部分には素屋根と呼ばれる覆いを設置してから、建物全体の解体を行い、柱と梁だけの状態にします。この柱、針に残っている痕跡から、創建当時の姿を想定します。

専門家のみなさんと協議しました。

Heard the opinions of professionals.

解体、調査で得た情報や専門家の意見をふまえ、改修内容を検討しました。その結果、平屋部分の通り土間は1間に戻すなど創建当初になるべく近い姿を復元することにしました。

建物をジャッギで持ち上げて基礎を新設しました。

The building was lifted up with a jack so that a foundation can be newly implemented.

建物は曳家等により、柱が傾斜し、土台も傾いていました。建物をジャッギで持ち上げ、基礎を新設し、建物が水平・垂直になるようにしました。

残すことを基本に、傷んだ部分を取り除き、補いました。

With the general idea of preserving the original building, the damaged portions were removed and supplemented.

柱や梁などの家の部材は腐っていたところや白蟻の被害のところだけを取り除き、新しい木材で補いました。

屋根瓦をはずし、再使用しました。

 

Removed the roofing tiles temporally to be reused later. 

屋根瓦は、かつて清水の地場産業であった「清水瓦」が使われていました。1枚ずつ取り外し、洗浄、打診検査で合格した瓦を再使用しています。不足分は、既存瓦と同寸法の新しい瓦を使用しています。

乾式土壁で補強し、柱などにオリジナル色を塗装しました。

Dry soil wall was used for reinforcement, and pillars were painted with the original colors.

壁は乾式土壁で補強し、左官が仕上げていきます。接ぎ木、埋め木で補った柱や梁は、塗料会社が特別調合した「次郎長古色」で塗装しました。